2016年4月10日
教会墓地にて記念式を行いました。
波田須
教会行事で熊野市波田須と近郊の景勝地、盾ヶ崎へ行ってきました。今回は日本景教研究会の川口一彦先生
にもご参加いただきました。
波田須は秦の始皇帝の命により不老不死の仙薬を求めて東へ旅立った徐福上陸の伝説地で町内には徐福の宮という徐福のお墓も存在します。この地は熊野灘に接した国道311号線(熊野街道、海抜93メートル)と熊野灘との斜面にへばり付くように点在する集落で地元区長、比賀氏の話によると100年前からほとんどその姿を変えていないとのことです。
波田須の地名はもともと秦住と言い(はたす・秦氏が住んだ、との意味)徐福は元々秦の性を名乗っていたものと思われます。
また、この地の古民家を改造して悠々自適の暮らしを満喫し色々な活動をなされている(自然懐古庵・天々亭を主宰)河村有理さん宅に招かれ親しく交流のときを持ちました(河村さんは、盾ヶ崎にもわれわれと同行されました)
写真は左から・徐福の宮(徐福の墓)道票・2枚目3枚目は波田須の集落・4枚目区長の比賀さんと河村さん、川口先生
以下4枚は徐福の宮・その下左は、不老不死の仙薬と言われる天台烏薬(画像をクリックで拡大)
盾ヶ崎
盾ヶ崎は吉野熊野国立公園特別保護地区に指定され熊野街道(国道311号線)沿いから遊歩道(ハイキングコース)が整備され約40分から1時間で行くことができます。途中の遊歩道沿いにはこの地特有の植物が群生し説明文が掲示されています。
盾ヶ崎は高さ100メートル周囲600メートルの大岸壁で圧倒されてしまいます。
日本書紀の神武東征の上陸地と云われ、平安歌人増基法師の紀行文には、神のたたかえる処とて盾をつらねたるやうな巌どもあり(参考・熊野市ホームページ)盾ヶ崎の名称が付いたものと思われます。
写真左一枚目これも不老不死の仙薬シマサルナシ(中央の実)キュウイフルーツに似た果実、右端は盾ヶ崎への道のりほぼ中央に位置する阿古師神社・10~12枚目盾ヶ崎の景観・(画像をクリックで拡大)
中日新聞(2012・7・26日付)に7月4日の中日新聞WEB版の続報が掲載されました
詳細は画像をクリックしてください
現地視察の鈴木知事と熊野市長他関係者に現地説明するT兄
(画像をクリックで拡大します)
上記写真と同じ場所にて説明するT兄
(画像をクリックで拡大します)
T兄の記事が中日新聞に掲載されました
7月4日中日WEB版(詳細画像クリック)
2011年クリスマス子供祝会
クリスマス恒例のサンタさんに扮したS兄、子供たちに大好評でした。
納骨式
納骨式の模様、墓地職員によって遺骨が移し替えられ。この後遺骨が納められ、牧師によって式が執り行われました。
T兄の記事が朝日新聞全国版の夕刊に掲載されました
写真をクリックして参照
司馬遼太郎と景教講演会を開催
2010年11月20日 日本景教研究会代表 川口一彦先生(愛知福音キリスト教会牧師)を迎え、司馬遼太郎と景教と題し講演会を行いました。
たくさんの来会者が与えられ、古代日本にシルクロードの東の果て日本にはるばるやってきて日本文化に多大の影響を与えたものと思われる古代のキリスト教景教を知るきっかけとなり、皆さん熱心に聞き入っていました。景教に関する資料はフォトギャラリーに掲載しています。
2010年7月31日奈良景教史跡巡りを行ないました
京都・伊勢に続いて3回目です。
当日は12名の参加があり、とても暑い日でしたが楽しい日を過ごしました。詳細はフォトギャラリーをご参照ください。