プロテスタント宣教150周年記念大会

(写真:横浜開港資料館所蔵)
(写真:横浜開港資料館所蔵)

写真左の2人は翻訳事業に尽力されたアメリカ・オランダ改革派教会のフルベッキ宣教師とブラウン宣教師です。右端のシモンズ医療宣教師は横浜病院、現在の十全病院の委任医師となり、医学教育にあたりました。ともに1859年に来日しています。

 

以下は(日本プロテスタント宣教150周年記念大会実行委員会ホームページより抜粋)

(写真:明治学院所蔵) 
(写真:明治学院所蔵) 

翻訳事業の中心となったのが、ヘボン式ローマ字で有名なアメリカ長老教会のヘボン宣教師です。ヘボン宣教師も1859年に来日しました。1887年明治学院を創立します。

写真はヘボン夫妻

横浜・成仏寺
横浜・成仏寺

写真はヘボン宣教師が日本で最初に住んだ横浜にある成仏寺です。この寺はアメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ヘボン宣教師は本堂に、ブラウン宣教師は庫裏に住んだといわれています。

宣教150周年記念大会に参加して 田中一久

2009年7月8日~9日に横浜のパシフィコ横浜で開催されました、日本プロテスタント宣教150周年記念大会に参加しました。
幕末のペリーの浦賀来航以後、1858年に日米修好通商条約によって長崎、横浜、函館が開港したことに伴い、1859年、リギンズ、フルベッキ、ヘボンらの宣教師が来日し、日本のプロテスタント宣教が始まりました。それから150年目の今年、「キリストにあってひとつ -主イエスの証し人として- 」をテーマに、延べ1万5千人の参加者がありました。大会の目的は、各種団体が連帯しあう、150年の記念の一里塚とするということでした。


大会の様子は、CGNTVで放送されましたので、インターネットでご覧になった方もおられると思いますが、8日は17:00からジョン・カビラさんの司会でオープニングフェスティバルがあり、ダンス、演劇、シドニー五輪のテコンドー銅メダリスト岡本依子姉の証やAsiahやクワイヤーの賛美等がありました。岡本姉の証は、韓国人コーチに誘われて行った教会で導かれた様子を、姉の飾らないベタベタの大阪弁で話されて、イエス様にしたがっていきたいという気持ちが十分に伝わりました。続いて19:00からの開会礼拝では、各地からのビデオレターでの祝辞、ザビエル以後の宣教の歴史の紹介があり、ボーマンさんのチェロ演奏、久米小百合さん、小坂忠さんの賛美等がありました。特にボーマンさんや小坂忠さんとは、20年以上前に三重県の教会主催のコンサートに来ていただいた以来でしたので、久しぶりにお会いできて、とてもすばらしい演奏と音楽を通して神様を伝えたいという変わらない姿勢に感動しました。また、この日のメッセージは、韓国のハ・ヨンジョ師が、日本におけるリバイバルを、大川従道師が「風は己が好むところに吹く」と題して力強いメッセージをしてくださいました。

 

翌日は10時から記念式典があり、オーケストラ演奏、アカペラ賛美に始まり、大会宣言、宣教師派遣団体への感謝状の贈呈、各種団体来賓の祝辞等がありました。特に来賓はアメリカ、韓国、台湾、ネパール、シンガポール、ミャンマー等の海外からの来賓だけでなく、カトリックの長崎大主教からも協働を求めるメッセージがありました。午後からは加藤常昭師の「神の言葉に生かされるキリストのからだ・教会」、湊晶子東京女子大学学長の「現代のキリスト教学校教育と家庭教育に期待するもの」と題する基調講演と7名のパネリストによる講演会がありました。加藤師からは、キリストの支配している教会の形成を目指すこと、湊師からは、毎日4時から祈っていたご両親の信仰の姿勢をとおして、親から言葉で言われなくても信仰に導かれたこと等の体験を含めた講演がありました。


午後4時からは、派遣礼拝として、新たな50年に向けて一致と協力のうちにキリスト者の人間関係の再生と使命が伝えられました。
今回の大会を通じて、感じたことは、まず関係者や参加者の大会への熱意と感謝の気持ちが明確に表されたことでした。それには、これまであまり交流の無かった団体同士が超教派で、一つの目的のために集まったことの意義が十分に感じられたことでした。